かっこいい服を着る
僕は幼い頃から「着れれば服なんてなんでもよくない?」という精神には頷けなかった。いつだってかっこいい服を着たいと思っていた。
小学生の頃、放課後遊びに行く服を決めるのにも当時の自分の中にあるしっかりとしたこだわりの下、服を選んで着替えて遊びに行っていたような記憶がある。
いつだってかっこいい服を着たいっていう気持ちは今だって変わってない。
でもどうしてそういう風に思うのかなって考えた時、色んな理由があるけどひとつ大きいもの。それは、
モテたいから。
だと思った。やっぱモテたいよね、かっこいい服着てモテたい。
これはしっかりしたひとつの理由。
どうしてこんな事を書いてるのかというと、今日キュートなガールからお褒めの言葉を頂いたのが嬉しかったから。いつだって褒めてもらえるといい気分、それが特にかわいこちゃんからだといい気になっちゃう。あの瞬間俺はモテた。
服は面白いから大好き、死ぬまでかっこいい服を着続けたいなー。すっげー楽しいもん。
「お初」はそうしていつも夢の中
もう21時30分です、本日も残り時間少ないところです。
ただどうしても書き残しておきたい事があるのです。
今朝起床。久しぶりに夢を見ていました。
それも「ド下」の夢を。
トザイトーザイ
物語は僕が初めての「風俗体験」をするという決断から始まります。
何故、その店を選んだのかは分かりませんがたくさんあるお店の中から僕は「熟女、ぽっちゃり」と看板で謳った店に吸い寄せられるように入店。
そんなこんなで僕の目の前にいた女性は、今から「快楽」という果てしないゴールを目指して一緒に歩んでいくとは思えないような風貌でした。
鳴らした覚えもない、鳴らしてと頼んだ覚えすら微塵もないゴングの音がさほど遠くないところで静かに鳴り響きました。いつの間にかリングにあがってしまったようでした。戦意を携えてもいなかったので喪失したものは戦意ではなく僕の中の大事な何かでした。
経緯は曖昧でも、きっとこの女性を選んだのは僕です。
腹を括り、いよいよ始めました。いつもなら楽しい暗中模索も「箱の中身はなんだろな」からウキウキをひいた、そんな感情でした。絶望に似たそれより酷いものでした。
唇はみたことないくらいカサカサでした、いやガサガサしてました。
ぽっちゃりとデブの狭間とかではなく完全なる後者であり、愛嬌のないわがままボディでした。
結果的にはゴールにたどり着くことができず、制限時間を終えました。
するとその女性は先ほどまでの対応と打って変わり、ただただ対応の悪い態度の悪いデブになり下がりました。出ないなんて意気地なし、しょうもない男だと言わんばかりの目でこちらを見てきていました。
帰り際にみぞおち2発くらいいっとけばよかったなと思いました。夢の中だけれども。
夢の中とはいえど、これで帰れるはずもなく2軒目へ。
ココが凄かった。受付をすまして地下にエレベーターで行く仕組みの店で、階が下がれば下がるほど高級なお嬢が待ち受けています。
男ならよぉ男なら。
有り金全部はたいてでも一番下だろうよ、と一緒にエレベーターに乗っていた「あれ、この人は人生を卒業するつもりかな」という感じの中年男性に言われました。
周りの人がどんどん僕より先にニヤニヤしながら下りていく中、エレベーターは遂に一番下まで辿りつき残っていたのは僕とそのおじさん。
扉を抜けると僕は未知と遭遇しました。
そこには天井からたくさんの女性がつるされていました。どういうことだと思いましたが間もなくお店の人が来て僕も同じようにワイヤーでつるされました。
つまりこの階の仕組みは天井からワイヤーでつるされている女性の中から自分の気に入った子のところへ自らが辿りつくことができ値段交渉などなど成立したらば2人そろって床に降ろしてもらい事をおっぱじめる事ができるというものでした。
谷を上り峠を超えてとうとうお頭へたどり着いたかと思い、ウキウキ空中遊泳の始まり。すると見たことあるような顔の女性ばかり。なんとこの階、現役アーヴィー女優がうようよいたのです。そんな中一際輝く女性が隅にいました。
僕の画面の中のエンジェルがいました、実在はしない夢の中で生きる有名女優でした。
君に決めた!!
交渉成立!
そうして地上に舞い降りた僕ら。開始。
まだ天空で待機中の天使が茶々を入れてきます。「その子今日はまだゴールまで行ってないんだよ、情けない男ばっかに指名されちゃってあんた耐えなよ~」と。正直はち切れそうでしたが踏ん張りました。
たった20分の時間、財布は空っぽになりました。それでも男の中には満たされたものがある事をしっかりと噛み締めました。
そこで呼び起されたように、目が覚めてしまいました。
これならずっと見てられるじゃねえか、もっと見せてくれよと悪態をつきながら僕の11月12日は始まりました。
こうして僕の「お初」はいつも夢の中。
でも願ってた事が叶う事っていつなんどきでもどんな事でも「あれ、こんなもんだっけか」と思ってしまうこと、あるよね。
そうして夢の中でも、現実でも僕の「お初」はいつも夢の中。
カルチャー日記:男はつらいよ 第一作 movie
2018.10.16 tue
ようやく拝見することができました、男はつらいよ。
言葉遣い、寅さんの口上ひとつひとつに引き込まれて本当に全てのセリフ覚えて身につけたい程、心地よいセリフ回しの数々。日本語って面白いな、素敵だな。
ヘマをやっては故郷を離れて、いつしか飄々と姿を現して。
女に惚れて、振られて旅に出る。
そんなフーテンの寅さん。人情に厚くて、人には厚かましい。
寅さんの「せい」が半分あるとしたら寅さんの「おかげ」はきっとそれ以上あるんだろうな。
金はなくて財布は薄くても、厚い人情に生きる寅さん。居酒屋で出会ったらさぞかし楽しいんだろうなー。
あんな寅さんに弟分がいるのも頷ける。
「殺したいほど惚れてはいたが
指もふれずにわかれたぜ」
良い詩だなー
なんたらの秋
四季の移り変わりはいつも明確な線引きができないまま
気が付くと寒かったり暑かったりしますよね。ああ寒い、もう寒い。
秋はなにかと可愛がられてるんじゃないかと思います。
「食欲の秋」「読書の秋」「芸術の秋」「スポーツの秋」
秋すげー、四季がなくて秋だけの国ってすごいこの四つの分野発達するんじゃない。
一年通して秋だったら、肥満率が上がって物知りが増えてクイズ番組のレベル段違いになって、芸術的感性は磨かれて、オリンピックでは表彰台独占状態になるかも。
あ、でも冬にも夏にも春にも名曲があるからな。それが生まれてないとすると嫌だな。
冬は山下達郎のクリスマスイブかけたいじゃん、雨は夜更け過ぎに雪に変えたい。
なんたらの秋、それぞれしっかり由来はあるみたいだけど。
本当は夏に忙しすぎた人たちが秋になってやっと休みが取れて、クリスマス前の冬への準備期間みたいな秋をもっと満喫させようとしてこんなキャッチコピーつけたんだとしたら可愛い。
夏の波に乗り遅れたサーファーは秋の波に乗るしかなかった。
何でもやりたくなっちゃう秋。
それでもポジティブな倦怠感に時たま包まれる。
小学生は冬でも半袖半ズボンの子がいます。
鼻水たらしながら頬を紅く染めて走り回る姿を客観視するそんな自分が少し寂しい。そこに自分がいないから寂しいっていうわけじゃない。
こういうことを書くのは少し恥ずかしいですが、生涯が一冊の本だとしたら何をするにしろ残りページ数は減っていってると考えると不思議な気分になります。
白紙ページに今から何を書いていこうかといつも考えて、たまにやってくる大物をどういうふうに扱うかを決めます。今までも何度かそんな局面と対峙しました、そしてこれからもきっと来るんだろうなと思います。
それがすごく面白いので、寝ても目が覚めるんだろうと。
僕が最後のページを書き終えたらようやく裏表紙がここで初めて見えます。
そこにはバーコードがあって、それをピッてレジに通すとこの世のお金全部かき集めても足りない金額が表示されると良いなと思います。それだけどベストセラーになったら凄く嬉しいです。
レジに通せない本がベストセラー!帯は誰に書いてもらおう
そんな生涯を送れたらいいなってポジティブな倦怠感に包まれながら考えてました。
いっぱい動いて、いっぱい食べて、いっぱい書いて、いっぱい知りたいです。
おっぱいが一番好きです。おっぱいの秋だったら良かったのに。
でも待て、実際おっぱいは秋かもしれない
タートルネックがあるだろ〜
あるがままに生きよ
僕らは裸で生まれてきました。
「あるがままに生きよ」
とはよくいうものの、さてはて「あるがまま」とは?
裸になるのはいいけれど常時、裸で生きることはできませんね。この社会に身を置いて生きているならば、我々は服を着なければ。裸で外を歩くといつのまにか両手揃えて輪っかの中へ、てくてくサイドにゃポリスマン。ウーウー警察大出動。
うむ、あるがままに生きるとは裸で生きることではないのか。
僕らは裸で生まれてきました。
振り返りましょう、しっかり目をこすって振り返りましょう。
僕らの起源はとある男女のまぐわいまで遡る事ができます。裸のまぐわい。
ザッツ男女のまぐわいは裸でなされたものです、おそらくそうです。例外もあるかもしれませんが一般的には裸でなされるものだと存じ上げております。本当の裸です、被り物ひとつありゃしないまぐわい。
我々は本当の裸で男女がまぐわうとはどういう事かしっかり考える必要があります。
いわゆる華金に男が狙っているのは男女のまぐわいに間違いはありませんが、これはですねフェイク裸のまぐわいである必要があります。来たるべき本当の裸のまぐわいに備える一種のトレーニングとでもいいましょうか。
確かに世の中ではこのフェイク裸のまぐわいを「本番」といいます、がしかし本当の意味での「本番」ではありません。
本当の「本番」というのはそれほど私たち人間にとって高尚な行為だという事ができます。そんなに簡単に手出しできるものではないと。
で。
思ったんですけど
「sex」ってひとまとめにできるような行為じゃないんじゃねえかと。
そんな一緒くたにしていいもんじゃねえんでないかと。
なんかひとつひとつ違う名前つけた方がいいんじゃないかと。
思うわけです。
そうするとけっこうな利点がね、あると思うわけですよ。
まず、ナンパの時ね。セックスしたいよ、ほぼセックスしたいからナンパするわけよね。それでもその時のセックスと子供の起源となる行為のセックスは違うと思うのよね。だから名称を変えるのはどうですかという事ですわ。
例えば、好みの女の子発見!
①ワンナイトカーニバルwith me?
②性交渉した後に交際したい
③遺伝子レベルで惹かれている、つまり家族になろーうよ
だいたいこんな感じかな
①②③で違うじゃん、女の子も声かけられて分かりにくいじゃん。
え?どれなんだろってなると思うわけよね。
だからナンパする時
①「エクササイズセックス」しませんか。もしくは「トレーニングセックス」
②「ビフォアセックスアフターケア」させて下さい。
③「裸でまぐわいませんか」
にした方がいいんじゃないかなと。
これにしたらナンパ劇的に成功率あがるんじゃないかと。
実質①②は③のための肥やしですよね、①②は本物ではないからね。本物の裸ではないから。そう思うと①②ですら、快感がおそらく跳ね上がるんじゃないでしょうか。それと同時に自分はまだ旅の途中だったんだと気づくことができると思うわけです。
確かに①②を達成する事で人生の、男としてのピークを一度感じてしまうのは仕方ない。
そりゃ青春時代、性に対して悶々と生きてきた男にとって「男女のまぐわい」っていうのは常に変化することない憧憬の的なのですから。その的に弓が刺さると「これが本物か」と勘違いしてしまうわけですよ。ど真ん中の赤い所に突き刺さってるわけでもないのに。これは虚像よ
ど真ん中を射抜かねば、①②を知って満足してはだめだと。
思い起こせ青春時代、飽くなきまでの我々のせいに対する探究心、好奇心はそこで終わりじゃなかったはず。少なくとも僕は半端ではなかった。
向上心を忘れなければ、少子化に抗えるんではないかと思う訳です。
ゲームでも隠れキャラ全部使えるようにさせないと気が済まないような人が増えると少子化に抗えるかもしれません。
は?
結局、あるがままに生きるとはなんなんでしょうか。
あるがままに生きるとか考えないであるがままにいる事。
浮かんでは消えて、消えては浮かぶ想念をコントロールしようとせず。
ヒュービューハラリハラリです。
それじゃあ、そんな僕からひとこと
「あるがままに生きよ」
カルチャー日記:湯を沸かすほどの熱い愛 movie
2018.10.12 fri
高確率で泣く。
なんかあんま書くことないわ、また見たくなりそうな映画。
あるわ、あれだ。銭湯行って宮沢りえみたいなベッピンさんが番台に鎮座しておられたら、色々とその後が憚られますわ。
女性強いなーって感じた。女性の強さってなんだろうね。綺麗だなぁ。
勝ち目がないねぇ。かっこいい。愛がある強さ。
カルチャー日記:クレイジー・リッチ movie
2018.10.08 mon
左後ろで見てた外国人お姉さんたちが楽しそうにずっと笑ってたので僕まで楽しかった。
誰かと一緒に映画見に行くと自分では選ばないの見るから、新鮮です。
とんでもない金持ち達の映画で、出てくる人達ほとんど金持ちの中でも最上級みたいな人ら。映画自体もとんでもないくらい費用かかってんだろうなー。規模がすげぇ。逆に貧しく感じるくらいに富豪。
これハリウッド映画、俳優陣はアジア人俳優がほとんど。洋画のキッスはやっぱし唇を食うよね、あれは完全に食べてるよね。いいと思います!
大富豪たちも大変だなと思う。大富豪に出逢ってしまった人も大変。
レイチェルは強い女性でしたね、カッコいいね。鋼鉄みたいな打たれ強いとかいうレベルじゃなくて打たれている事が分からないみたいな強さじゃなくて、折れたりダメージ食らって倒れるけど、立ち上がる強さがある女性。素敵でい、ニックが惚れるのも頷ける。
麻雀のシーン良かったね、母と共に颯爽と去るレイチェルね。目が大変良かった。
まあ今日はこんくらいかなー、うん。久しぶりの映画館良かったな。また行こう。
唇食べるの良いなー。