たねなしプルーン

徒然なるままに

カルチャー日記:メゾン・ド・ヒミコ movie

2018.10.01 mon

やさしい映画だな、すごいやさしさに包まれたようなそんな作品だった。

温かくて、その温かさは僕ら誰しもが持ってる、そんな気がするしそう信じたいと心から思う。

画面の中のみんなが凄く輝いてる。生き生きしてる、楽しそうに人生を自分の人生を謳歌してるってこういう事なんだよって語らずとも一番分かりやすい形で教えてくれた。

 

そう、ゲイの話。

登場人物のほとんどはゲイ。この映画は2005年公開、今は2018年。最近もたくさん耳にするよね「LGBT」。これはその中の「G」の人達のお話。

 

いつの時代だって議題に取り上げられるくらいだから、世の中の人は興味関心があるんだろうね。うん、そんな世間の強い風当たりをもちろん画面の中のゲイたちも受けて生きてきたんだろうな。ゲイっていう事で差別されたりひどい事を言われたりもしてきたんだろう、周りに打ち明けられないまま生きてきた人だって。それでも自分を騙さずに生きてきたその姿はとても僕の目にはかっこよく映った。だからこそ感じるやさしさというか、それこそ強さの中の優しさっていうのをとても感じた。

 

色気がある映画だった。

その中のリーダー的存在の田中泯さん演じる「卑弥呼」っていう人がいるんだけど、もう何なんだろうなー。すごいんだよな、言葉がいらないんだよ。いらないというかなくてもいい。圧倒的なまでの存在で、だけど圧迫感があって威圧してくる感じじゃない。人生の酸いも甘いも知り尽くしてるんだろうな、深い、とてつもなく深いやさしさ。あの人は性行為みたいな言葉の交わしあいができる人だと思う。美しい。

 

オダギリジョーさんは言わずもがな。美しい綺麗な男だった。

「愛とか意味ねえじゃん。欲望なんだよ、それだけなんだよ、俺はそれが欲しいんだよ」のシーン。あのシーン、演技は頭から離れない。

柴崎コウさんの目、強かった。他にも皆さん印象は強いけど特にルビーは強い。素敵だった。バチッと決めた姿には痺れた。

 

僕らは人間で、それが一番下の土台になってるもの。それは人間みんなに共通してるもの。それでその人間という土台の上に何が乗っかってるか、乗っけるかは人それぞれ。生き方、思想、夢。もちろん自分の上に積み重なってないものを積み重ねてきて持ってる人が必ずいるわけで、それを見たときにああ魅力的だな、好きだな、つまんねえな、気持ち悪い。色んな感情が生まれて行ってそれもまた自分の上に積み重なっていくんだと思う。

 

全ての事を「はい、そうですか」と簡単にすんなりと受け入れる事ができるほどみんながみんな強くはない、果たしてそれを強さというのかどうかすらも分からない。

 

それでも僕らはみんな人間で、人。同じ人間だからこそ分かりあえるってのはある。きっとある。そんな不思議な魅力を我々はきっと持ってる。

そんなことを改めて今考えてる。